小金井市内で二番目に多い外国人はネパール人のひとたち

わたし私の住むすむ小金井市こがねいしネパール人ぱーるじん住民じゅうみん増えてふえています。今年ことし令和れいわ5年5ねん3月3がつまつ288人288にん中国ちゅうごく1149人1149にん)のつぎ第二位だいにいです。

 ちなみに5年前5ねんまえ比べるくらべるつぎのようになりました(小金井市こがねいし事務じむ報告書ほうこくしょより)。

 人口じんこう増えてふえているのはベトナムべとなむネパールぱーるだけで、中でもなかでもネパールぱーる2倍2ばい以上いじょうです。

 

「もしかして・・・」と思っておもって市内しないネパールぱーる料理店りょうりてん調べるしらべる4てんもありました。

先日せんじつ武蔵境むさしさかいからこれまさまでの西武せいぶせんの、地元じもとでは「これまさせん」ともいわれるローカルろーかる電車でんしゃ

乗って途中下車して会うことがありましたが、何気によって昼食食べたお店ナンカレーネパール料理店でした。

1980年代昭和終わりのころ新宿働いていましたが、新宿駅新大久保駅などで、インドカレーがあり、何度食事をした覚えがあります。

以下いかほん引用いんようです(「現代げんだいネパールぱーる知るしるための60章60しょう日本にほんネパール協会編きょうかいへん赤石あかいし

書店しょてん p116116~p119119小林こばやし真樹まきコラムこらむより)。

1970年1970ねんだいから90年代0ねんだいにかけて、日本にほん都市部としぶ増え始めたふえはじめたインドいんど料理店りょうりてん

オーナーおーなー多くおおくインド人いんどじんだった。」「当時とうじこうしたインド人いんどじんのオーナーたちのあたま

悩ませたなやませた問題もんだい一つひとつ良質りょうしつコックこっく確保かくほだった。」「そこで同じくおなじくインドいんどでの調理ちょうり

経験けいけんがありながら、従順じゅうじゅんでまじめなネパール人たちが求められるようになっていく。」

「こうしたインドいんど料理店りょうりてん経験けいけん積んだつんだネパール人ぱーるじんコックこっくたちが徐々じょじょ独立どくりつしていくよ

うになる。」「家族かぞく呼び寄せよびよせ新たあらたなネパール人コックを雇うやとう。こうして自らみずから裁量さいりょう

料理りょうり出せるだせる環境かんきょう入れたいれた彼らかれらなかには、やがてメニューめにゅー片隅かたすみモモもも

餃子ぎょうざ)、チョエラちょえらあぶり肉あぶりにくスパイスすぱいすあえ)、スクティすくてぃ干し肉ほしにく)などのネパールぱーる

料理りょうり提供ていきょうを始めるもの出てでてくる。」

「こうした流れ2010年代入り留学生上がりネパール人飲食店経営

参加するようになって以隆顕著になる。」

ネパールぱーる料理りょうり取り巻くとりまく環境かんきょう日々ひび刻刻こくこく進化しんか続けてつづけている。享受きょうじゅするがわとしては

そのいずれもが共存きょうぞん共栄きょうえいし、今後こんごとも美味びみなる一皿ひとさら食べ続けられるたべつづけられることを願うねがうばか

りである。」

まったく同感どうかんです。

わたしは、まずは小金井こがねい市内しないネパールぱーる料理りょうりお店おみせ食べ歩くたべあるくことから始めたいはじめたい

思いますおもいます